私が点訳を始めた理由
2024/05/21
私は点訳に関わって40年以上になります。人生の3分の2以上の期間関わっているので、私を形作る一部になっていると思います。ワークス樹樹のサービス提供と直接関係はありませんが、自己紹介がてら書かせていただきます。
時々、なんで点訳を始めたの?と聞かれます。
目次
高校生の時に点訳をはじめた
何かボランティアをしたいなと思ったときに、浮かんだのが新聞か何かで読んだ鶴間図書館で点訳ボランティア活動があるということでした。鶴間図書館に行ってみると、点訳講習会の時期ではありませんでしたが、白鳥さんという方が個人的に一から点訳を教えてくださることになりました。基本レクチャーの後、点字器と厚めの文庫本を渡され、「点訳してきてごらん」という。2,3週間後点訳した用紙を持って行くと、読み合わせをしてくれる。5ページ点訳しても1ページ目に間違いがあってマスがズレてくると5ページとも書き直し。これを繰り返しているうちに、この文庫本の点訳を完成させるのは不可能に思えてきました。
点訳出版活動へ
数週おきに図書館に通う私を見ている人が、もう一人いました。ボランティアで点字の将棋雑誌を定期発行していた会の会長の堀場さんです。点字印刷・製本などの作業に誘っていただき、楽譜点訳・将棋の棋譜点訳・漢点字などの世界や、点字タイプライターというものも教えてもらいました。作業の後、近くでお茶をしながら、点字をとりまくいろいろな話をしてくれました。鶴間図書館の点訳講習会を受けて、1年後に残る人は数%しかいないこと。点字の本で100冊売れたらすごいベストセラーであること、など。会社の経営者でもある堀場さんの話を聴くのが楽しみでした。
ボランティアサークルの代表に
大学4年になるころ、堀場さんから「俺は点訳を止めるからお前が会長をやれ」と言われました。「毎日曜ボランティア活動をしてきたけれど、子どもが成人する前にしっかり子どもとの時間をとりたいこと」「会社の仕事に比べて点訳の世界では労力に見合う効果が感じられないこと」の2つが理由とのことでした。
「大学4年は卒業研究もあるし」と断った私に、
「そんな理由で断るのでは、いつになってもやれない」と言われ、そうかもしれないと思ってしまい、会長を引き受けることになりました。私の周辺の点訳ボランティアは、「代表にはなりたくない・活動の助けになることはします」という方ばかりだったので、今に至るまで、ほとんどの期間を会長として過ごさせていただいています。
素敵な居場所
点訳グループの活動が毎日曜だったときは会員数も少なかったです。(第3日曜は休みだったけど、間に合わないときは活動することもありました) パソコン点訳が始まって、活動の仕方が大きく変わりました。集まるのは月に1回。点訳・校正やデータの受け渡しは自宅からできます。この変化が無ければ今まで続けるのは無理だったでしょう。
年齢も職業も性別も、点訳をしている理由も、それぞれ違う人たちが集まって、対等な立場で話や作業をする。点訳歴の長い人も短い人も対等で、皆が自分の貢献できることをやろうとしている、とても気持ちの良い場所です。「会社もこうだったら良いのに」と思うこともしばしば。
勤め先の同僚も2名、この点訳グループに参加してくれました。そのうちの一人がある時言いました「職場の中西さんはもっと厳しい感じ。ここにいるときと違う」。 実は私も同意見でした。職場では齟齬に対して「何でこんなことしたの!」と思ってしまうのに、点訳サークルでは「仕方ないよね。どう対応するかみんなで考えよう」と笑って思えるのです。 あらら、場の違いではなく、自分の心の持ちようの違いの反映だったのかしら。 でもね、心の持ちようさえ変えてしまうような素敵な仲間に恵まれた居場所なんです。
もしパソコン点訳に興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、いつでもご連絡ください。お住いの場所を問いません。素敵な仲間に加わりませんか。私が点訳を始めた理由は何となくですが、続けている理由はたくさんお話しできます。